つまらない世の中

 「特別な存在になる」ということは、どんなことだと思いますか?
 サン=テグジュペリ著『星の王子さま』の中で、王子さまにキツネは次のように語る。

 おれの目から見ると、あんたは、まだほかの十万もの男の子とべつに変わりない男の子なのさ。だから、おれはあんたが、いなくなったっていいんだ。
あんたの目から見ると、おれは十万ものキツネとおなじなんだ。だけどあんたがおれを飼いならすと、おれたちはもうお互いに、離れちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・。
もし、あんたが、おれと仲良くしてくれたら、おれは、お日様にあたったような気持ちになって、暮らしてゆけるんだ。足音だって、今日まで聞いたのとは、違って聞けるんだ。
ほかの足音がするとおれは穴の中にすっこんでしまう。でも、あんたの足音がすると、おれは、音楽でも聴いている気持ちになって、穴の外にはいだすだろうね・・・。
この世の中がつまらないと思えたり、何事にも無関心になっていませんか。料理一つ、品物一つにしても、自分の真心をかければ、それは、「かけがえのない存在」になるはずである。

「いま何をするか」で三年後が決まる

 夏の暑い昼下がり、軒先でキノコ干しに汗を流している和尚がいた。それを見て道元禅師は「自分でやらなくても、若い者に任せてはどうですか」と言った。
すると、その和尚は、「他人にやらせたのでは自分の修行にならない」と応えた。「何もこんな暑い時分にしなくても」と言うと、「いまをはずして、どうして適当な時が得られようか」と切り替えされた。
何事も同じで、「あとで」ではなく「いま」やる、「他人任せ」ではなく「自分で」やることが大切である。
それが、「できる人」と「できない人」を分ける大切なポイントである。

私たちは「忙しくて」とか、「時間がなくて」と言いがちだ。カール・ヒルティ(スイスの法学者・政治家・歴史家)は『幸福論』で、「葉書に一筆『ありがとう』と書くことのできないほど忙しいという人があるはずがない」と言ったが、忙しい人ほど礼状などをその日に書く人が多い。
心配りが、その人を出世させるのであろう。

「いま起きている現実は、実は三年前に決まっている」と言った人もいる。会社にしろ、個人にしろ、「いま」という時をどう過ごすかで明日の運命は決まってしまう。過去を悔いたり、明日をただ願うだけでなく、「いま」という時を有意義に過ごすことである。